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紀平梨花。色んな壁を乗り越えた先に見据える「私の人生を込めた演技」

2024.02.26

フィギュアスケート

紀平梨花。色んな壁を乗り越えた先に見据える「私の人生を込めた演技」

松原孝臣

同じ空間にいる人々誰もが引き込まれるような笑顔だった。
 自らもこう語る。
「笑顔を大事にしたいと思っています」

フィギュアスケーター紀平梨花は、その笑顔と対照的とも言える時間を過ごしてきた。今シーズンは怪我の影響により全休を選択。今シーズンに限らない。この3シーズン、怪我や痛みと向き合い続ける。
 
 始まりは2021-2022シーズンだった。そのシーズンは4年に一度の大舞台が控える年だった。2021年9月、カナダ・トロントの名門クリケットクラブに拠点を移したが右足首の疲労骨折の影響でグランプリシリーズを欠場。最後の選考対象大会である2021年12月、全日本選手権出場を目指した。状態が上向きであったわけではなかった。いや、出場にはほど遠い状態だった。それでも模索した。

「怪我のことをまだ受け入れきれていない自分もいて、診断も曖昧なところが多くて、出られないことを信じきれない自分もいました。でも自分の体からのSOSは感じていて、出たい、出たら危ない、両極端にいるような気持ちでした」
 
 右距骨疲労骨折による欠場が発表されたのは大会開幕前日の公式練習開始直前であった。出場の可能性を最後まで求めていたのには、4年分の思いもあった。

全日本選手権終了直後、SNSで「おめでとう」

2017年、紀平は中学3年生にして全日本選手権3位と表彰台に上がったが、年齢制限で日本代表の資格がなかったため選出されなかった。以来、目標として描いていた舞台へ向けて、大づかみに捉えれば順調に階段を上がってきた。2018-2019シーズンはグランプリファイナルで初出場初優勝を遂げ世界選手権では4位。2019-2020シーズンの全日本選手権で初優勝。2020-2021シーズンの全日本選手権では初めて4回転サルコウを成功。世界一のスケーターになるために、着実に積み重ねてきた。

「4年という時間の重さがやっぱり強すぎてそう簡単には決断できず、何か可能性があるんじゃないかと思って、1%の可能性もあるかもしれないからと最後の最後まで悩みました」

重い決断のあとの日々をこう振り返る。「あまり考えるとどうしようもなくネガティブな気持ちになってしまうかもしれないので、3カ月くらいはスケートだったり怪我だったり、大会のことは考えないようにしていました」

一方で全日本選手権終了直後、紀平はSNSで「おめでとう」と代表の内定を得た選手たちを祝福している。

「そのシーズンずっと怪我を抱えていてどうしようもない思いを受け入れている自分もいたりしましたし、4年に1回しかない舞台に出ることができる皆さんに、なんだろう、言葉が難しい……なんていうかな、頑張った成果が出たというか、報われたというか、シンプルに祝福の思いがありました」

失意の中では決して容易なことではない。それでも祝福の言葉をおくったところに、紀平梨花の人となりがあった。

© Nobuaki Tanaka
© Nobuaki Tanaka

完治を目指して決断した、今シーズンの休養

再起を期した2022-2023シーズン。

「『(怪我は)いい感じ』『動いていいよ』と言われてスタートしました。スタートしたのはいいんですけど、痛みははじめからあって。本当に厄介な怪我で、痛すぎて耐えられないわけではないんですけど動きすぎるとやっぱり悪化してしまうんですね。練習ではぎりぎりのラインを攻めてどうやって負担をかけずに追い込めるのかとか考えながら取り組んでいました」

グランプリシリーズを経て迎えた全日本選手権。だが大会の約2週間前に再び痛める。それでも臨んだ大会ではフリー当日朝の公式練習でさらに痛めた。

「私、焦っていると笑っちゃう人なんですけど、もう本当にやばすぎて笑ってました。歩くのも痛いし、フリーの6分間練習や演技直前は『お願いだから、このまま滑れなくなるような足にならないで。もってくれ』と思っていたのを覚えてます」

 いつ足首が悲鳴をあげてもおかしくない中、紀平は滑り切った。構成を組み替えて、やれる限りを尽くした。

「それまでの経験、試合をこなしてきた感覚も衰えていなくて、いきていたなって感じました」
 
 培った地力あってこその演技を終えた直後、紀平は右足首をいたわるように触れた。
 
 2シーズンを経て、今シーズンは休養を選択した。

「『痛み』という言い方をよくするんですけど、疲労骨折のMRIもその通りに出ていて、よくなってきても(疲労骨折の)線がなくなったことは実はまだ今までなくて。痛みとその線がなくなるまでは怖いというのもありますし、実際、昨シーズン少しよくなった状態で始めても最後まで治りきらなかったっていうのもあります。続けていたら一生治らないくらい慢性化するようになってしまう、練習中に悪化させてしまうことが考えられたので、一回完全に治さないといけないな、と思いました」

photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

あらためてこの3シーズンについて尋ねる。

「葛藤は本当にありましたよ。健康だったら追い込めば追い込むほど達成感があったり充実感が毎日あると思うんですけど、常に不安とか悪化するんじゃないかという恐怖がありました。どういう思いで練習に向かえばいいのか、追い込みすぎてもいけないし、考えることが多かったので大変でした。このくらいやったらこれくらいの演技ができる、足りないのは何か、自分のことを理解してやるべきラインは自分の中で持っているのでもどかしかったです」

葛藤を抱えているからこそ、ポジティブさに込める想い

年明け、新年の挨拶をSNSにこのように綴っている。

――2024年最高な1年にできるよう、どんな時も明るく前向きに!をモットーに笑顔で過ごしていきたいです――

「前向きな言葉や考えを絶対に言うようにはしていて、ネガティブな要素は口に出さないように意識しています。口にすると自分の心の中に刻まれる気がして。それでもネガティブな思考をすることはよくあって、ポジティブに見えるけれどけっこうネガティブな部分が多くて(笑)。暗くなることも多かったからこそ明るく前向きに、笑顔を大事にするのがやっぱりいいなと思いました」

笑顔で話し続ける言葉には、やはり葛藤が込められていた。でもそこにとどまっていなかった。

「楽しむことに罪悪感を覚える自分が今までいました。もちろん練習をさぼって遊びに行くのは絶対に駄目なんですけど、自分が楽しいなって思ったこと、好きなことをしてみる、そういうことも頭に入れつつ、気を張りすぎず毎日を充実させて過ごせるよう、後ろ向きにならない方法をつかんできているかなと思います」

トロントで学んだことも多い。

「制限なく練習ができたことはあまりなかったけれど、それでもスケーティングだったり表現だったりスピンだったり、いろいろなことを学ばせていただいたと思っています」

何よりも自身の可能性を信じているからこそ、こう語る。

「完全復活となると、ものすごい努力としんどい練習と、完全な超健康な体が必要だと思います。そのうえで、何カ月も重ねて『キレッキレ』って思ってもらえる、私自身も自信を持ってそう言えるようなジャンプや演技をしたいと思います」

キャプション:雪肌精 グラフィック撮影中カット

美しさを表現するためのメイク。そこに内面や思いをのせて

早くからトリプルアクセルを武器とし4回転サルコウも成功させた紀平は、表現面でも評価されてきた。「魅せる」ことへの意識も高い。「こだわりがある」というメイクは小さな頃から好きだったという。

「小学生のときにはおばあちゃんの家に行ってメイク用品があるからもらって帰ったりそこでお化粧してみたり。中学生になって海外試合に出るようになると、フィギュアスケートは美を極める競技でもあると思うので、テレビカメラに映るときはメイクも美しく、表情も美しくしたいなと楽しくメイクしてました」

photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)
photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

そしてこう続ける。

「メイクにもこだわりはありますけれど、やっぱり美しさって内面や思いがつながる気がしています。何より美しいものは、見ると癒されたり、人に幸せを運ぶんじゃないかなと思うので、フィギュアスケートをする上で大切にしていきたいところです。『フィギュアスケートとは』ですか? ひとことで表すのは難しいかなと思うんですけど、いろいろな曲や物語を最大限表現できるスポーツだと思っています。1つの作品としてみてもらえる芸術的なスポーツなので、自分の世界を皆さんにみていただきたいなと思いますし、いろいろな壁にぶち当たったり、乗り越えてきたり、私の人生を込めた演技につながるよう磨いていきたいと思っています」

頂上へ登るルートは1つではない。距離の短い道も曲がりくねった道もある。でも、どのルートを進んだとしても頂上へたどり着くことはできる。

大舞台で世界の人々を魅了する演技を。

その瞬間へ、折れない心と覚悟を秘めた笑顔とともに、紀平梨花は進んでいく。

photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

TEXT BY

早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経て「Number」の編集に10年携わりフリーに。スポーツでは五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は2004年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、'16年リオデジャネイロ、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、 '10年バンクーバー、'14年ソチ、'18年平昌と現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)など。

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