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「スケートが嫌だった」過去を乗り越えて。<br>表現者・高橋大輔を突き動かす「スケートへの覚悟」

2025.11.21

フィギュアスケート

「スケートが嫌だった」過去を乗り越えて。
表現者・高橋大輔を突き動かす「スケートへの覚悟」

松原孝臣

10月19日、福岡県久留米市のスケートリンク「スポガ久留米アイススケート場」でスケート教室が開かれた。集まったのは子どもたちを中心とするスケート初心者。180名を超える応募者の中から抽選で当選した67名が参加したという。

その講師として、高橋大輔はいた。現役時代、数々の輝かしい実績を残して日本フィギュアスケートの新しい歴史を築き、2023年の春に引退。その後、スケーターとして、プロデューサーとしてアイスショーに携わるなど、幅広く活動を続けている。

参加者は7つのグループに分かれる。それぞれにスタッフがついて教える中、高橋は巡回して休む間もなく見て回る。

「スケートって楽しいな、スケートをもうちょっと続けたいなと思ってくれる人が一人でも増えたらと思っています。教えるというより、どれだけ一緒に楽しめるかを考えていく形ですね」

その言葉の通り、限られた時間であっても一人ひとりに話しかけてアドバイスをおくりながら、高橋自身も楽しそうに笑顔を浮かべる。そこには、スケートの魅力を伝えたい、スケートが好きだという思いがあふれていた。

高橋大輔が講師を務めたスケート教室には、子どもたちを中心に67名が参加 photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

1回目の引退のときは、スケートのことが嫌で

でも、そうではないときもあった。

「1回目の引退のときは、スケートのことが嫌で、スケートしかできない自分も嫌でやめました」

1回目の引退とは2014年秋のこと。4年に一度の大舞台に立ってからしばらく時を置き、記者会見を開いて発表した。

「引退までの2年間、自分に自信をなくしていたというのもありますし、なんて言えばいいかな、消化不良というか、やりきれなかったというか、そういう思いもありました」
 2010年、2度目の大舞台で銅メダルを獲得、日本男子史上初の表彰台に立った。それ以降、以前にも増して、日本のエースとして大きな期待が寄せられることとなった。3度目の大舞台へ向けて、膝の状態が思わしくはない中でも期待に応えようと戦い続けなければならなかった。重圧は大きかっただろうし、納得のいく練習や演技ができない葛藤もあっただろう。高橋はもう一度言った。

「スケートから心が離れて。ほんとうに嫌でした」

photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

スケートから離れよう。では何をするか。

引退後、模索は続いた。一時期海外で生活したがみつからなかった。帰国すると、テレビのコメンテーターをはじめさまざまな仕事に取り組んだ。

「いろいろする中で、これは苦手なんだなと分かったり、ストレスを感じて『これがストレスか』って思ったり。それまでは感じたことがなかったんです」

さまざまな世界に触れて、不得手な分野を知った。一方で、何が好きなのかを確認する機会にもなった。

「パフォーマンスだったり表現だったり、そういうエネルギーが動いているものを見たりしたりするのが好きだな、と」

自分にとってそれは何か――。そう考えていくと、答えに行き着いた。

「自分にはスケートしかない。そう思いました」

一度は嫌になったスケートこそ、自分のいるべき世界であると気づいた。スケーターとして生きていきたいと思った。

スケート教室の準備を誰に言われるでもなく、率先して行っていた photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

輝きを放った復帰。再確認した「表現の世界が好き」という情熱

2018-2019シーズン、5年ぶりに復帰。長いブランクにもかかわらず全日本選手権で2位になり、あっと言わせた。2020-2021シーズンからは村元哉中をパートナーとしてアイスダンスに転向。世界選手権に2年連続で出場し、2023年には日本アイスダンス史上最高タイの11位になるなど輝きを放った。

復帰後も、試合で思うような演技ができなかったときはある。でも明るさと前向きな姿勢は失われなかった。高橋は、誰かに相談するのではなく自分と向き合って物事を決めるのだという。自らみつけた答えだから、なおさら迷いはなかった。スケートに生きるという覚悟とスケートをしている時間の幸福が、その姿勢を生んでいた。2度目の引退は、だから1度目とは対照的に、やりきった充実感にあふれていたし、スケートが大切だからこそ、その魅力を伝えたいと願う。スケート教室の姿からはそんな思いが伝わってきた。

「スケートをしてなかったらどうなっているのか、考えたことはなかったですね」

と高橋は笑う。そして続ける。

「ダンスは見るのも好きだし、お芝居も楽しいですね。舞台もドラマも映画も、ファンタジーの世界が好きです。やっぱり、表現の世界が好きですね」

スケート以外の表現の世界に刺激を受け、自身のプロデュースするアイスショーのアイデアにつなげることも photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

リンクを降りても魅せる。16歳から続く表現者の流儀

フィギュアスケートもまた、多分に表現の要素を含んでいて、「魅せる」ことが重要だ。だから、日常から努力を怠らない。

「清潔感というのが大事だなと思っていて心がけています。やっぱり、顔がいちばん人の印象に残るじゃないですか。だからスキンケアは頑張ってやっていますね。化粧水、美容液、パック、クリームを朝晩やっています。美容液は秋冬と春夏で変えています。お風呂を上がってスキンケアしているときがいちばんさっぱりします。パックは冷蔵庫に入れた方がいいって言うじゃないですか。ひんやりしているのが、とても気持ちいいんですよ」

リラックスできるということに加え、その意義をこう語る。

「肌が綺麗になってくると気持ちも明るくなるというか、清潔に綺麗になっていくと自信につながる、日々のプラスになる気がするんですよね。スキンケアは、16歳くらいからやっていました。たぶん今のアラフォーの世代の中では早いほうなんじゃないですかね」

屈指の表現者として知られるスケーターのこだわりがそこにもうかがえる。

「ショーだけじゃない」稀代の表現者が描く、スケート普及の未来図

今、高橋はこれからのフィギュアスケートにも思いを馳せる。

「選手の育成という部分ではコーチの方たちが十分にやってくださっています。普及という点では、スケート教室であったり、体験型の遊べるイベントであったりしてもいいし、他の競技と協力してやっていくのもいいと思っています。フィギュアスケートやアイスホッケー、スピードスケート、一緒にやれば、その中で子どもたちもやりたいことをみつけることができる機会になると思うし、それぞれの競技を知る機会になって人気が高まると思います。アメリカはスケートリンクが多いですが、なぜかと言うとアイスホッケ―が人気だからです。アイスホッケーを生で見るととても面白いんですけど、日本だとその機会が少ないですよね」

photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

日本でもアイスホッケーの人気が高まればリンクの増設につながる可能性が増し、それがフィギュアスケートの普及にもつながる。

高橋は、さまざまな分野で活動しているが、それに触れた言葉にも、スケートをもっと広げたいという熱意が込められていた。

「メディアのお仕事はあまり得意ではないですが、スケートを知っていただくためにも大事だと思っているので、出させていただいたりしています」

何よりもショーを通じて、スケートの魅力を伝えようと取り組んでいる。

「スケートって、試合だけじゃなくアイスショーでも、ジャンプなしでも別の見方で楽しめると思うんですね。その楽しさを多くの人に感じてもらうために昨年からプロデュースしているアイスショーの『滑走屋』では、より手の届きやすい価格帯のチケットも準備しています。来年3月にも公演を予定していますが、例えばお父さんお母さんがお子様を連れてきて、それをきっかけにまた観たい、スケートやってみたい、そういう流れができたらいいなって思います」

一度離れたことでその価値と重みを知り、それを軸に生きると決めた。

その情熱とともに、稀代の表現者は「魅せる」ことを大切にしながら、スケートの世界に生きていく。

スケートと離れたからこそ気づけたスケートの魅力。弾けるような笑顔でスケート教室の参加者を見つめていた photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)
photograph by 松本輝一(Kiichi Matsumoto)

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