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「幼い頃は自分から何かをはじめようと決めてスタートしたことは一度もなかった」と語る髙木美帆。初めて自ら動いて立ち上げた『チームゴールド』とともに追求する次のステージとは?

2024.04.24

スピードスケート

「幼い頃は自分から何かをはじめようと決めてスタートしたことは一度もなかった」と語る髙木美帆。初めて自ら動いて立ち上げた『チームゴールド』とともに追求する次のステージとは?

矢内由美子

「私、末っ子なんです。子どもの頃はいつもきょうだいの後ろにくっついていたので、自分で何かを決めてやったことは一度もなかったんですよね」

スピードスケートの金メダリストであり、女子1500メートルの世界記録保持者でもあるスーパーウーマン、髙木美帆は茶目っ気まじりにそう言った。

2023年5月、自らの先導でトップスケーターや指導スタッフを集めて『チームゴールド』を結成した行動力と照らし合わせれば、少々意外な言葉かもしれない。

北海道・幕別町出身。髙木には、ともに数々の金メダルを手にした2歳上の姉・菜那さんと、3歳上の兄がいる。

中学までは夏場はサッカーをやり、冬場はスピードスケート。どちらも年代別のナショナルチーム合宿に呼ばれる実力があり、さらにはヒップホップダンス教室にも通っていたスーパー少女。そして、サッカーもスケートもダンスも、始めたきっかけはすべて本人曰く「身内の影響」だった。

「スケートは兄が1998年に長野で行われた大会で、清水宏保さんを見てやりたいと言ったことで姉と私も始めました。サッカーは姉がやりたいと言い出したから一緒に始めましたし、ダンスはいとこがやってるのを見て、兄と姉が先に始めたのがきっかけでした」

自らの意志で目標を定め、努力を重ね、タイトルや地位を手にするアスリート像がお手本のように存在する中で、“やらされた”という訳ではないにせよ、目の前のレールに乗って行った先で世界チャンピオンにまで到達した髙木は珍しいタイプかもしれない。

思い起こせば髙木が初めて2010年バンクーバーで行われた世界的な大会に出場した時はまだ中学3年生。

「自分で道を選択する前にバンクーバー出場が決まりましたから」とサラっと言うのを聞くと、金メダルをいくつも手にするほどのエネルギーの源が何であったのかがますます気になってくる。しかし、髙木はこれまたサラっと言う。

「そういえば、中学から高校に上がる時はサッカーかスケートかという選択肢がありました。自分的には『スケートの方が思考が働く』と思ったのでスケートを選びましたが、考えてみれば兄も姉もスケートでしたからね」

どこまでもフランクで自然体な口調だ。

photograph by 杉山拓也(Takuya Sugiyama)

今の興味は世界記録よりも、どうやったら“2月”にピークを合わせられるか

地元の高校を卒業した後は兄の母校でもある日本体育大学へ進学した。大学時代には2014年ソチで行われた大会への出場を逃す失意を味わったが、そこから奮起し、「これからの4年間はスケートにすべてを注ぐ」と決意。その後は右肩上がりに実力をつけていき、2018年の平昌で日本女子史上初の金銀銅メダルを獲得した。

2019年にソルトレークシティーで行われた大会では女子1500メートルで1分49秒83の世界記録を樹立。2022年の北京ででは金メダル1つ、銀メダル3つを首に下げた。この間には欧州勢の独壇場だった世界オールラウンド選手権と、短距離の総合で競う世界スプリント選手権も制している。

ここ数年の間は絵に描いたようなビクトリーロードを步んできた中で、初めて髙木が自ら動いて立ち上げたのが、現在の拠点である『チームゴールド』だ。ナショナルチーム時代の恩師であるヨハン・デビット氏をコーチに迎えて2023年5月に国内外の6選手でチームを結成し、「ミラノ・コルティナダンペッツォ大会の金メダルを目指す」と表明。2018年平昌大会から2022年北京大会に向かっていた4年間にはあえて口にすることがなかった目標を、今回は早い段階で明確に打ち出した。

その背景には自らの胸に湧き上がった強い思いがあった。

「2022年北京での女子1000メートルで金メダルを獲った時、格別の達成感があったんです。今は世界記録よりも、どうやったら“2月”にピークを合わせられるかに対する興味や関心が勝っています」

「2月」とは、4年に一度のビッグイベントが開催される時期。そこにピークを持って行き、100%の力を発揮して頂点に立つことが思い描いている目標だ。

photograph by 杉山拓也(Takuya Sugiyama)
photograph by 杉山拓也(Takuya Sugiyama)

スケートを生涯スポーツとして楽しんでもらえるきっかけに

日の丸をつけるようになってからはスピードスケートに邁進してきたが、最近は「スケート以外でやってみたかった」という分野がある。それはダンス。

「スピードスケートを追求する楽しさを知ってからは、ダンスに本気で向き合っていたらどこまで自分を高められたのかな、どんな自分になれたのかなという興味はありますね」

スピードスケートは体の各パーツを一つ一つ精確に操りながら、全パーツを連動させる技術がものをいう競技。欧米人に比べれば体格や筋肉量で劣る髙木がトップに立っているのは、その技術が人並み外れて優れているからだ。

「スケートをやっていて、体を自由に動かせないとやりたいことが出来ないと考えた時に、ダンサーの人たちの体はどうなってるのだろうという興味を持ったんです。中学時代までの私はその面白さに気づいていませんでした」

体の動かし方という意味では、3月31日に横浜市のコーセー新横浜スケートセンターで基礎スケート教室の特別講師を務めた時の氷上での髙木も実に楽しそうだった。

スケート教室の参加者は小学1年生から大人まで72人。ほとんどが初心者という中で、髙木も「履くのはほぼ初めて」というフィギュアスケート靴で、初心者と一緒に専門のコーチの指導に耳を傾けた。

「重心の位置がスピードの靴と違って難しかったです。スピードの靴で参加していたら何が難しいのか、立てない感覚とはどういうものか分からなかったと思うので、出来るようになるやり方を学べて楽しかったですね」

ほぼ初めて履いたフィギュアスケート靴で歩く練習をする髙木美帆選手 photograph by 杉山拓也(Takuya Sugiyama)

スケート教室に参加したのは、今年2月に世界距離別選手権で自身初となる1000メートルと1500メートルの2冠を達成するなど、充実したシーズンを終えて帰国した直後の3月下旬だった。自然と、日本国内におけるスケート人口やリンクの減少といった昨今の課題に意識が向いた。

スケート王国のオランダで活動することの多い髙木は、高齢者がリンクで滑っている姿を日常的に見ている。

「スピードスケートは筋肉量も必要だし、バランスを取ることも必要。だから、陸上を走るよりも満遍なく体を鍛えられるのではないかなと思いますし、意外に膝への負担が少ないのではないかなとも思います。大人のスケート教室を開くことで、日本でも生涯スポーツとして楽しんでもらえるきっかけにもなるのではないかなと思いました」

スケートに親しむ人が増えていくためのアイデアもある。

「スケートリンクは、初めて利用する人にとっては敷居が高いイメージがあるので、それをなくすために、まずは受付の所から新規利用者を受け入れやすいようなムード作りをしていくと面白いのかなと思いますね」

photograph by 杉山拓也(Takuya Sugiyama)
photograph by 杉山拓也(Takuya Sugiyama)

きっちりメイクして、おしゃれな服を着てお出かけするならパリ

国内外での合宿や大会出場で海外を転戦している期間が多い髙木。トレーニングや試合で汗をかくことが多いため、肌荒れなども考慮して使う化粧品を絞っているが、オフの時のあらたまったシーンなどでメイクするのは楽しみのひとつだという。

「普段から使っていて気に入っているのはADDICTIONのアイブロウパウダー。きっちりメイクして、おしゃれな服を着てお出かけするならパリです。せっかくだったらおしゃれな所に行きたいですからね。引退した後はメイクが楽しくなりそうです」

練習が休みの日などは、ゆったりと過ごすことが多い。

「午前中はゆっくりしていて、体が起きてきたな、外に出たいなという感じになったらカフェに行くことが多いですね。コーチや仲間がいれば、お茶をしながらスケートのこと話したりチームのこと話したり。お茶の後は散歩に出かけるような感じで過ごしています」

オフシーズンのリフレッシュ方法もゆったりとした時間を持つこと。最近は世界遺産であるスペイン・タラゴナの考古遺産群を訪れ、2000年以上前に建てられたという水道橋のたたずまいに胸を打たれた。

「その日は天気が良く、森林の緑と円形の橋のコントラストがとても綺麗でした。タラゴナは海に面していて、世界遺産の古い街並みと近代の建物が同居しているのを海の青が引き締めています。写真や映像よりも、その場の空気がセットになった時に美しさを実感できるように思います」

姉・菜那の存在と『チームゴールド』

スペイン旅行は2022年オランダでの大会を最後に引退した姉の菜那さんと一緒だった。

「スケートの世界ってそんなに広くない、囲まれた世界ですから、必要以上にそこで自分の居場所を探そうとしすぎると、逆に苦しくなってしまいます。私は姉がいることによって絶対に一人にならないという安心感があったと思うんです。家族という無条件の存在は大きかったですね」

ともに切磋琢磨する“ライバル”でもあった菜那さんへ、感謝の思いを込めてそう言った。

子どもの頃からなにかと兄弟の後ろについていくことが多かったが、スケートを追求する面白さを知った今、自ら作ったチームと培ってきた土台の上に立ち、もう一段階ジャンプアップしようとしている。

「『チームゴールド』の由来はゴールドを取りに行くという意味合いもありますが、輝いているチームでいたいという思いもあるんです」

髙木の輝き続ける姿を見るのが楽しみでならない。

photograph by 杉山拓也(Takuya Sugiyama)

TEXT BY

1966年6月23日、北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、テニス、五輪、サッカーなどを担当。'06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディアスタッフ『REDS TOMORROW』編集長を務める。著作には『Jリーグ15年の物語 カズ&ゴンたちの時代』(講談社)、『闘莉王 超攻撃的ディフェンダー』(学研)などがあり、最新刊は『ザック・ジャパンの流儀』(学研新書)。ワールドカップ取材は南アフリカ大会で3回目。

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