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日本のアーティスティックスイミングを世界トップに引き上げた<br>『メイクの力』

2024.05.22

アーティスティックスイミング

日本のアーティスティックスイミングを世界トップに引き上げた
『メイクの力』

松原孝臣

表現が大きな軸となる競技がある。その1つがアーティスティックスイミングだ。チームで見られるリフトをはじめ、プールで数々の技を駆使する高い技術とともに芸術的な表現力が問われる。演目に合わせてデザインされた水着、ヘアスタイル、そしてメイクもまた世界観を伝えるのに欠かすことはできない要素だ。

指導者として大舞台で数々のメダルを獲得、日本を世界屈指の強豪国に育て上げた井村雅代がメイクの重要性を説明する。

乾友紀子が獲得したメダルを手に談笑する井村雅代とコーセーメイクアップアーティストの石井勲
photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)
乾友紀子が獲得したメダルを手に談笑する井村雅代とコーセーメイクアップアーティストの石井勲
photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)

「審判員の前と言っても、動作によって10m弱くらいのときもあれば15mくらいの位置になることもあります。だから遠くでも近くでもきれいに見えて、好感度のあるメイクを要求していました。審判員も人間ですから、メイクもとても大切なものです。例えば『アイコンタクト』という項目もあります。審判がどこを見ているのか分からないとだめじゃないですか。そういう点でも『目力』、目の力を発揮するためにメイクは大切ですし、乾さんもメイクによってものすごい助けてもらっていましたね」

アーティスティックスイミングにおけるメイクの大切さを語る井村 photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)

「乾」というのは井村の教え子でありソロ、デュエット、チームの各種目において日本代表の柱として活躍、2022年、2023年の世界選手権ではソロの2種目で2年連続2冠に輝いた乾友紀子である。

その乾もこう語る。

「メイクを教えていただく中で自分に必要なことを学んだり再現できるようになってきて、演技の中での表現につながっているという評価をいただいたときにメイクが実際に演技とリンクしているんだな、というのを感じられるようになりました」

演技の世界観を高めるためのスポーツメイク

2人の言葉はアーティスティックスイミングでのメイクの大切さを物語っているが、メイクにおいて日本代表をサポートしてきたのがコーセーのメイクアップアーティスト、石井勲である。スポーツではフィギュアスケートやKOSÉ 8ROCKS※、そのほか撮影や舞台などを手がけるトップアーティストだ。

※コーセーが運営するブレイキンチームで、日本発のプロダンスリーグ「D.LEAGUE」に参画している。

「世界観を高める表現の一環として、衣装や音楽、演じる役に合わせてメイクをデザインしていくのはフィギュアスケートやD.LEAGUEと同様です。その中でもアーティスティックスイミングは必ず水着の色と連動させるようなカラーを取り入れ、遠いところやどのような角度から見ても立体的に見えるように、色使いやラインの強弱を工夫しています」

メイクは演目によって異なる。

「メイク講習会前に、演目のテーマやイメージワード、水着のデザインを送っていただき、各演目に対して3~4パターンのメイクデザインを作成します。そのデザイン案をもとに、講習会当日にコーチと選手の皆さんと相談しながらメイクを決定します。選手がこのメイクしてみたいと思うことが大事ですね」

試合のとき石井は同行できないため、選手自身がメイクする必要がある。そのため選手が自分でメイクできるように、講習会では眉やアイラインの角度など個々にあわせてアドバイスしている。メイク完成後、選手全員が一列に並んで、10mくらい離れた場所からメイクをチェックし、メイクにも統一感がでるように微調整を行っている。

アーティスティックスイミング日本代表のメイクを監修するコーセーメイクアップアーティスト 石井勲 photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)

乾友紀子という選手を育てられて良かったと、井村雅代が思った瞬間

世界で披露してきた演目は、それぞれに即した多彩なメイクとともにあった。その中でも心に残る演目として、乾はまず、2015年世界選手権のフリーコンビネーションをあげる。

「緑と赤と黄色の3色を使ったメイクは、今までやったことのない色合いで好きです」

昨年福岡で行われた世界選手権ソロのフリールーティン『大蛇~オロチ~』も思い出深い。

乾が心に残る演目としてあげた『大蛇』のメイク©フォート・キシモト(写真左)

「この大会は今まででいちばん緊張していて、試合の前に自分でメイクするときアイラインがどんどん吊り上がって、決勝のときのメイクは一番吊り上がっていました(笑)。アイラインは吊り上がっていましたけど、後から見た表彰式の写真、涙を流していても化粧がぜんぜん崩れていなくて、自分で見ても『すごいきれいやな』と思いました」

印象深い演目・メイクについて語る乾友紀子
photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)
印象深い演目・メイクについて語る乾友紀子
photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)

井村も「全然メイクは取れていなかったからね」と続ける。

アーティスティックスイミングは激しい水中動作がある。メイクにとって厳しい環境だ。コーセーが2006年にサポートを開始するまでは苦労もあったと井村は振り返る。

「選手にね、メイクが落ちてしまうから『メイクしたら試合までは顔を水につけたらだめ』と言っていたんです。ほんとうは選手たちもメイクして、髪の毛も結って試合用の水着を着て一回水の中に潜ってリフトをしたり試してみたいんです。だから言いたくないけれど、最後のアップでも顔をつけないで泳ぐようにさせていました。でもコーセーさんにサポートしていただいてからは大丈夫。やっぱり開発で進化してきたわけでしょう?」

問いかけに石井が答える。

「そうですね。以前は水中で発色を持続させる工夫が必要でしたが、今はアイカラーもリップも汗・水に強く発色も高い高機能なアイテムに進化しています」

井村が世界選手権の話を続ける。

「石井さんにお世話になってよかったなと思ったのは、福岡で演技が終わってビジョンに顔だけが出たとき、きれいだなと思ったんですよ。あれだけアップに映るとたいていは塗りすぎの感じが出るのに、とてもきれいでした。乾友紀子という選手を育てられてよかったなと思いました」

photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)

メイクの持つ力は、外見を美しくする、整えることで内面まで美しくなって、自信を持てるところ

乾は昨年10月に引退を発表。井村のもとでコーチとして歩み始めた。

「まだ指導者ですと胸を張れるようなところにはいなくて、今でも自分が指導している選手がうまくいかないときには井村先生に『ちょっとお願いします』と直していただいて、結局は私も教えてもらってばかりです。でも私も競技をやっている中でできなかったことができるようになったときや自分が変われたと思えた瞬間がすごくうれしかったですし、それが次のモチベーションにもつながっていたので、選手にそういう経験をしてもらえるよう、自分が力になれたらいいなって思っています」

そんな乾に井村がエールをおくる。

「まだコーチをやりだしたところで、コーチの醍醐味は全然分かってないと思います。だけど、やはり選手一人一人の人生があって、心も変わるし、その心が反映して演技中の様子も変わっていくし、そういう時期を預かっていく楽しさがあります。その姿は写真などで残っていくじゃないですか。私は預かっている選手が引退した後に孫に誇れるような映像や、写真を残したいし、一生でいちばん輝いている年代を預かっているからより一層輝くように仕上げてやってほしいと思います」

すると石井が言う。

「私のメイクの信念というか、メイクとつながるところがありますね。同じメイクって二度とできないんですよ。1mm、0.5mm違うだけでも表情が違ってくる。そのため、左右バランスや繊細なラインまでしっかりこだわります。皆さんが自信に満ちて輝く姿を見られるのはすごくうれしいですね」

そしてこう語る。

「スポーツメイクでも普段のメイクでも、外見を美しく整えることで、内面まで美しくなって、自分に自信を与えてくれることがメイクの持つ力だと思います」

石井によるアーティスティックスイミングのメイクデザイン画 photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)

アーティスティックスイミングでメイクがなかったら、水着を着ていないのと同じ気持ちに

乾はメイクにこんな思いを抱いている。

「アスリートとしての視点からで言うと、メイクをすることでスイッチオンになって試合モードに入ります。自分のやる気スイッチというか、集中するモードに入る。なんていうんですかね、メイクをすることで気持ちが演技に入り込めます」

井村はこのように表現する。

「試合に向けての最後の覚悟を作れる時間というか覚悟の入り口みたいなものですね。アーティスティックスイミングでメイクがなかったらどうなるんですかね。水着を着てないのと同じような気持ちになるというか、ほんとうに大きい存在なんですね」

そして井村は言う。

「私は水着にも曲にもむちゃくちゃこだわりますし、石井さんもどんなカーブでどんなラインを描くか、どれだけの長さにするか、こだわってくださっている。こだわらないといいものはできません」

とことんこだわる――メイクを媒介としたプロフェッショナルの出会いもまた、アーティスティックスイミングの輝かしい成果を形作っている。

photograph by 榎本麻美(Asami Enomoto)

TEXT BY

早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経て「Number」の編集に10年携わりフリーに。スポーツでは五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は2004年アテネ、'08年北京、'12年ロンドン、'16年リオデジャネイロ、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、 '10年バンクーバー、'14年ソチ、'18年平昌と現地で取材にあたる。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)『フライングガールズ−高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦−』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)など。

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