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「ゴルフが大好きなんで全然苦になりません」自分の武器が通じない。<br>苦闘続きのアメリカ挑戦で、吉田優利が笑顔でいられる秘訣とは?

2024.05.13

ゴルフ

「ゴルフが大好きなんで全然苦になりません」自分の武器が通じない。
苦闘続きのアメリカ挑戦で、吉田優利が笑顔でいられる秘訣とは?

雨宮圭吾

18ホールのラウンドには浮き沈みがつきものだ。それは人生も同じで、いいときと悪いときが、かわるがわる訪れる。

その中で人の本性が現れるのは、どちらかと言えば苦しい状況に追い込まれたときではないだろうか。

4月中旬、女子プロゴルフの吉田優利は、今季から参戦する米ツアーの合間に一時帰国していた。その日の練習を終えてインタビュー場所にやってきた彼女は、春めいた軽やかな花柄のワンピースに身を包んでいた。

にっこり微笑むその姿を見れば、新たなステージで充実一途のヒロインの趣きがある。だが、吉田が置かれていた状況は決してそんな穏やかなものではなかった。

photograph by 三宅史郎(Shiro Miyake)

ある人に言われた「日本にいれば賞金女王も取れるのに、どうしてアメリカに行くの?」

アマチュア時代からナショナルチームでトップアマとして活躍していた吉田が、プロになったのは2020年。国内ツアーを主戦場にしてこれまでに3勝を挙げ、昨年5月には国内メジャーのタイトルも獲得とトッププロとしての地位を確立した。

アメリカ挑戦はアマチュア時代から自然と抱いていた夢であり、プラン通りのステップアップだった。ナショナルチームで同期だった古江彩佳や西村優菜も一足先に米ツアーに主戦場を移している。

「ナショナルチーム時代から海外に数多く派遣してもらっていたので、ずっとイメージはしていたんです。私は日本で成績を残すことも重視していたから、24歳を1つのメドにしていました」

2024年はちょうどその節目となる年齢を迎えるタイミング。機は熟し、昨年末の米ツアーの予選会で狙い通りに出場権を勝ち取った。

「ある人に言われましたよ。『日本にいれば賞金女王も取れるのに、どうしてアメリカに行くの?』って。確かにと思いました(笑)。でも、そういうことも忘れてしまうぐらい、自分が見る方向はアメリカ挑戦だったんです。チャレンジできる資格、環境が整った今、行かない選択肢はありませんでした。ゴルフの幅がもっと広がるだろうし、何が自分に足りないかを見られるいいチャンスになるだろうと」

photograph by 三宅史郎(Shiro Miyake)
photograph by 三宅史郎(Shiro Miyake)

自分の武器が通じない。苦闘続きのアメリカ挑戦

アメリカでのシーズンの滑り出しは必ずしも上々とはいかなかった。

そもそも予選会経由のルーキーは出場優先順位が低く、すべての試合に出場できるわけではない。吉田はようやく迎えた米ツアーデビュー戦で予選落ちに終わり、2戦目も69位にとどまった。目に見える順位だけでなく、ゴルフの中身も自分の武器が通用しない苦しいものだったという。

「いつもショートゲームでゴルフを作っていくタイプなのに、そのショートゲームがあまりに難しくてパーやバーディを拾えない。どんどんリズムが悪くなって、いいゴルフができないサイクル。そこを打開するのが大事だなと思って調整しているところです」

アメリカの芝は日本とは違って抵抗が強く、クラブに絡みついてうまく振り抜けない。そのために距離感もずれてしまう。海外に挑んだ誰しもが経験する道だ。

「パッと見たときに、どのバウンドでスピンが入って、どれぐらいスピンがほどけて前に跳ねるのかの想像が全然つかないんです。自分が今までやってきた日本のグリーンとはまるで違います」

2戦目の第2ラウンドには、67の好スコアが出た。少しは手応えがつかめたのでは?と尋ねると、「まだ全然ないです」と首を横に振った。

デビュー戦はカリフォルニアの海沿い、翌週はアリゾナの砂漠。土地が変われば芝の種類も異なり、グリーン上での球の転がりも違ってくる。

「毎週、特徴が違うコースなのでいつ自分のゴルフがハマるかわかりません」

ルーキーだからスタート時間は早朝や午後の遅い時間帯が当たり前。終盤は日没を気にしながらプレーしなければならない。あらゆる面で手探りが続いているのだった。

「加点方式でどんどん自分を評価していった方が楽かなと」

とはいえ、悠長にしていられない事情もある。

ツアーでは序盤戦から成績に応じて出場優先順の組み替えが行われる。ここで上位に入れば安定して出場できるようになっていき、そうでなければ不安定な状況で戦いつづけなければならない。

「焦りはあります」と吉田は言う。

「成績を出せなければ次には行けない。でも予選会から行く選手はそういうもの。日本ツアーのように毎週試合をやって少しずつ合わせていくよりも、パッと行って短期間で成績を出さなきゃいけないんです」

アメリカでは屋外でのランニングも気ままにはできない。転戦も常に長距離で時間がかかる。必然的にトレーニングや体のケア、練習時間も削られる。

慣れない環境に適応する間もなく、プレーの面でもまだ光明は見えない。それでもデッドラインは近づいてくる。

となれば、もっと切羽詰まった表情をしていてもおかしくはないはずだ。とげとげした空気をまき散らすようなことがあっても不思議ではない。厳しい生存競争にさらされるプロゴルファーなら、それぐらいのエゴがむしろ当たり前にも思える。

だが、インタビューに答える吉田にそんな雰囲気は皆無だった。

苦境の中でも冷静に自分を見つめて強がらず、無闇に悲観的にもならない。春の風のように穏やかにそこに佇んでいるのだった。

それは彼女の座右の銘、「聡明」とも関係しているのかもしれない。

「聡明」とは、辞書を引けば「物事を理解するのが早く賢いこと」。それを知った上で、吉田は目指すイメージをこう語る。

「人の意見をきちんと聞いてから自分の意見を整理する。一旦、受け取る。それを整理してプラスに捉えて発信することで、自分はポジティブでいられる。聡明な人ってたぶんそうしているし、自然とそれができている。そういう人になりたい」

photograph by 三宅史郎(Shiro Miyake)

おそらく今の吉田は初めての米ツアー挑戦から「受け取る」作業をしているのだろう。

「最初からそんなにうまくいくと思ってませんから。もともと加点方式で考えていくタイプ。ゴルフ以外も、何事もそうです。うまくいくと思って減点方式で考えるよりも、うまくいかないと思っておいて加点方式でどんどん自分を評価していった方が楽かなと思っています。
日本でのデビューイヤーもあまりうまくいきませんでした。あの時はここをこうすれば上に行けるな、というのが想像できていたから、翌年からそれがはまってうまくいった。アメリカに行ってもそれは同じ。自分がどういうゴルフをして、どういう生活をするかが決まっていけば、成績と感覚がすり合わさっていくんじゃないかと思います」

肌や髪を綺麗にするとか、綺麗なウェアを着る。それが私のモチベーション

ゴルフから生活面まですべてが変わらざるを得ない状況で、変わらないものがあるとすれば、日本ツアーで「コスメ番長」とまで呼ばれた美しさへの心がけだ。

「肌や髪を綺麗にするとか、綺麗なウェアを着る。それが自分のモチベーションにもなります。すごく乾燥しているので、今まで以上に気を遣わないと、アメリカの気候だとすぐに荒れてしまいそうな気がするので」

吉田が愛用しているのは、コーセーの最高級ブランド「コスメデコルテ(DECORTÉ)」のリポソームシリーズ。

「朝でも夜でもとりあえずひたすら保湿。家にはいろいろ置いていますけど、遠征には1セットだけ持っていきますね。ライン使いすることでより効果的になるんです。それしか使わないから少数精鋭ですね」

photograph by 三宅史郎(Shiro Miyake)
photograph by 三宅史郎(Shiro Miyake)

10代の頃はポーチに10本以上口紅を入れて持ち歩いているような時期もあったが、女性として、ゴルファーとして経験を重ねることで必要なものを絞れるようになってきたという。

「春はピンクメイクですけど、シーズンが進んでだんだん日焼けしてくるとピンクでは見えなくなってしまう。だから夏場はオレンジメイクになっていきます。メイクの色味はその日の気分ではなく、肌の色に合わせる。そうすると使う色が決まってくるので、必然的に少数精鋭になりました」

美しさへの感度とこだわりは意外な分野でも見せている。昨年の日本ツアーの年間表彰式、吉田は自らデザインしたロイヤルブルーのドレスで登壇した。

「化粧品だけじゃなくて服やアクセサリーも好きで、一度作ってみたかったんです。私はデザイン画を描いただけで、あとは全部やってもらいましたけど、すごくうまくいきました。あれは自分のための、自分に似合うドレス。今度はみんなに似合う、身長も体型も関係なく似合うものを作ってみたいんです」

自宅や宿舎に戻れば「ずっとケアやパックをしてますね」と笑う吉田だが、そんなオフの瞬間であっても今はゴルフのことが頭から離れないという。

「うまくいっていれば何も考えなくていいと思うんですけど、まだまだ課題ばっかりなので時間が惜しいです。移動中に本を読んだり、アニメを見ていても、結局はどうやってクラブを上げようかと考えてることがありますね」

でも、と言って吉田は続けた。

「ゴルフが大好きなんで全然苦になりません」

春めくワンピースが風をはらみ、浮き立つように揺れていた。

人生にはいいときも悪いときもある。それでもいつも吉田が笑っていられるのは、きっとその気持ちに支えられているからだった。

photograph by 三宅史郎(Shiro Miyake)

TEXT BY

1979年、東京都生まれ。2002年にスポーツニッポン新聞社に入社。大相撲やゴルフのマスターズ、テニスのウィンブルドンなどさまざまな現場を経験。オリンピックも'14年ソチ、'16リオデジャネイロ、'18年平昌を担当した。'19年に独立し、現在はNumber編集部でライターとしてだけでなく編集業務にも携わる。'21年東京五輪では編集部の特派記者としてスケートボードやスポーツクライミング、柔道、ボクシングなど幅広い競技をカバー。これまでにロジャー・フェデラーからなかやまきんに君に至るまで、競技やジャンルを問わず数多くのインタビュー記事も手がけている。

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